穢らわしい自分を愛せ

親友に子供が生まれました。それはうれしい出来事かどうかと聞かれたら、私は「うれしい」と答える。それしか答えようがないし、実際そう思う。だけど、病室に新生児を見に行った私に「○○(私の名前)もいずれ赤ちゃん産むときくるよー」と朗らかに言い放った親友に殺意は感じないけれども、言いっぱなしかよとは思った。「人生何が起こるかわかんないよ、ほんとに」とは実体験から来る発言だと思うし、実際そうなんだけど、今の私にはそんなのはただの慰めにしか感じられないし、それを慰めとしか感じられない自分が被害妄想の塊且つ自己嫌悪の塊だということも十分わかってはいる。それくらいの冷静さと客観性は持っているつもりだ。それ以上に腹が立つのは、結婚して子供を持ちたいとか思っている自分自身に対してなのでいかんともしがたい。私は案外めちゃめちゃ普通に女の幸せと世間で言われているものをのどから手が出るほど欲しがっているという事実に内臓を掻き毟りたくなる。それを欲しがることは別におかしいことでもなんでもないのに。私はフェミニストでもないし、独身主義者でもない。ただ、結婚もせず、子供も持っていない三十台の女をどうしても一人前とみなせないという偏見を持つ女なのだ。自分がまさにそれなのに。しかし、そういう考えを持つ自分以外の人間に対して殺意を抱く女でもあるのだ。アンビバレンツ。
病室で触った新生児の湿った暖かさ、壊れてしまいそうなくらい小さな指、やわらかく奇跡みたいなそれ。もし自分がこの世にそれを産み落とすことになるなら、それはまちがいなく私にとって信じることができる、信じざるおえない唯一のものになるだろう。その確実なもの、それが私は欲しいのだ。自分の価値観を変えることができる唯一のもの、それが私にとっての子供だ。そして、私はそれを持つことができない。