単位としての家族

今日、高校時代の友人からメールが来た。

・・・そこで、久々にみんなで集まりませんか?場所等、詳細は決めていませんが、どこかの日曜日の昼間でいかがでしょうか。何人になるか予想がつかないので誰かの家ではなく、どこか広い公園みたいなところで、家族みんなで会うというのはどうでしょう。あくまでも案なのでみなさんの意見をお待ちしております。

これは共通の友人(仮にO君とする)からきたメールをわたしに転送してきたもの。メール中のみんなというのは、高校時代のクラスメイトで男女込み10人くらい*1の事を指します。内訳・スペックは以下の通り。

【男子】

  1. O君  妻・子1人
  2. A君  妻・子2人
  3. K君  妻・子2人
  4. M君  妻・子1人
  5. T君  妻

【女子】

  1. Nちゃん 夫(新婚)
  2. Mちゃん 夫・子1人
  3. Kちゃん 独身(実家住まい)
  4. わたし  独身(バツイチ)

厳しい!さすがに家族全員での集まりにわたしやKちゃんは行きづらい。しかも、男性陣の奥様たちはわたしたち女性陣と接点がないので*2、そこでもまた微妙な空気が醸し出されるわけ。この集まりがもし実施されたとしたら、おそらく参加するのは男性陣家族+女性陣になるだろうと想像つくわ。Nちゃん・Mちゃんの夫は不参加でしょう、やはり。そうなってくると、O君のいう『家族みんなで』の『みんな』ってなんだ?ってことになっちゃう。あ、それ以前に『家族』ってなんだ?ってのもあるけど。つまり、前者のほうは女性側の家族は暗に含まれていないってことになるし、後者は独身者にとっての家族ってなんだ?ってハナシ。
ふぅ。
O君の思考回路までわかるわけじゃないので、あくまでもわたしの推測に過ぎないのだけど、自分の家族を見せびらかしたい*3という欲望は、自分が得たものを自慢したいという誰にでもある欲望なのじゃないかしら。*4これって、結婚するとあまり親しくもない人にも写真入の年賀状を送ってくる人と同じ欲だね。あと、子供の写真入年賀状とかの人とも。それはそれでどうぞご勝手にと思うが、わたしをそのオーディエンスにしないでおくれよ。
と、ここまで思った後、そもそもわたしにメールを転送してきたNちゃんに返信。

みんなで集まるのは賛成だけど、家族全員でってのは、正直気が重いなぁ。

わたしとしてはNちゃんもこっち側の人*5と思って返信したのだけど、返事を見て自分の考えの浅さに反省。

確かに○○の気持ちもわかる・・・。でも、全員が家族連れになるとは限らないし。気にしすぎだよ。

あっ。そうか。ここは「既婚者VS未婚者」って構図ONLYだったか。わたしが迂闊でした。普段の生活で接している人たちがほとんど独身若しくは家族の話を一切しないタイプの人ばかりなので、この構図をうっかり忘れていました。そして、口の中が苦くなってきた。
おっと、ラムカスタードフレーバーのアイスラテでも飲もう。

この構図って、女性にとって落とし所のないホントに困った問題なのであります。

既女から見た独女のメリット(予想)

  1. 身軽
  2. お金を自由に使える
  3. 恋愛が出来る
  4. 社会に貢献していると思える

いや、4番目はどうかしらんけど、大体こんなもんかな?大まかに総合すると『自由』ってことだよね。
既女から見た独女のデメリット(予想)

  1. 安定していない(おもに精神的、一部金銭的)

ひとつしかないようだけど、このひとつが思いのほかでかいものです。というかそう思っていると思われる。

独女から見た既女のメリット

  1. 安定している(精神的および金銭的)
  2. 女性としての幸せをつかんでいる(何が女性としてかは人それぞれだが)

この2点はでかいですよ。どうやっても自分ひとりではつかめないものだけにその貴重さが際立ちます。
独女から見た既女のデメリット

  1. 自由になる時間・お金がない(少ない)

これもひとつしか思いつかないけど、そうとう大きいです。わたしとしては。

しかし、やっぱり既婚女性>独身女性って感じだね。どう理論武装しても「赤ちゃん生まれました」には勝てない。その思いが前提にあるからどうもやりずらい。僻みっぽく見えないようにしようとすればするほどそう見えるというパラドックス*6っていうの?僻んでるわけじゃないんだよ、憎んでるんだよ。

と、いうのはウソだが、うらやんではいる。その鈍感さに対して。あ、鈍感さに対しては憎んでいるかも。

*1:くらいと言うのは、固定メンバーがココ最近流動的な為

*2:みんな大学やら職場やらで知り合っている

*3:意識的かどうかは別として

*4:ちなみにO君の奥さんは美人だ

*5:えー、奥さんたちと話すことないよねー側の人

*6:意味違う